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    • 2015.01.01 Thursday
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    「映画をめぐる美術――マルセル・ブロータースから始める」(京都国立近代美術館)

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      本日は2記事アップするつもりです。まずは昨日9/13に京都国立近代美術館にて鑑賞した「映画をめぐる美術――マルセル・ブロータースから始める」展について書きます。この展覧会は2013/10/27まで京都国立近代美術館にて開催され、そのあと2014/4/22から6/1まで東京国立近代美術館にて開催されます。いま内容や批評を読みたくないという人はここから下は読まないでください。





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      blog20130914-1

      (画像は展覧会のフライヤーです)

       私は昔はよく映画館で映画を観ていたのだが、ここ数年はほとんど見なくなっていた。理由は、映画というものが私にとって刺激が強く感じるようになったからだ。映像と音と言葉が同時に襲ってくると、かなりしんどく感じるからだ。それでもこの展覧会は見ようと思った。現代美術の作家たちがどのように映画の特徴を取り入れ、作品にしているか、勉強したいと思ったからだ。

       会場では田中功起の作品が多かった。田中功起は2013年の第55回ヴェネチア・ビエンナーレの日本館の出品作家で、特別表彰を受賞していることもあって、今回一番見たいと思っていた。田中功起の作品は会場入口前に2作品、中ほどに1作品、そして最後に1作品、あくまでも現代美術として映像を撮っているように思った。そして、何か面白いことをやらかそうという“試み”が強く感じられた。なかでも「犬にオブジェを見せる」という作品は自作(?)のオブジェを犬に見せて、犬の反応を撮っており、オブジェを追い掛け回したり、匂いをくんくん嗅いだりする犬の色々な反応が楽しめた。

       それからシンディ・シャーマンの「アンタイトルド・フィルムスティル」は、自ら被写体となり自らが映画のヒロインを演じるかのような計算しつくされた写真で、かっこよかった。

       この展覧会の中心に据えられているマルセル・ブロータースは詩人として出発した彼らしく、ダダやシュルレアリスムに影響を受けた感じのオブジェや映像作品を観ることができた。言葉の画像の上に別の言葉の映像を重ねたりして、言葉に新しい意味を付与しようとしているように思えた。ブロータースが「私にとってフィルムとは言語の延長上にあるものです。」と言ったそうだが(展覧会フライヤー参照)、それは後の時代の作家たちによって様々な形で展開されている、というのがこの展覧会の概要である。

       なかでもアンリ・サラはこの言語というものを深く掘り下げようとしているのがうかがえた。彼の作品「インテルヴィスタ」は、祖国アルバニアの特定の時期についての人々へのインタビューやニュース映像、更に自分の母親へのインタビューをつなぎ合わせ、歴史というものを表現していると言える。

       また、映像の美しさという点ではアクラム・ザタリの「Tomorrow Everything Will Be Alright」が、海や道路の映像を交えつつ、タイプライターがコツコツと文字を打つ様子が情緒があって美しいなあと思った。

       そのほかにも、ダヤニータ・シンの「ファイル・ルーム」という一連の写真は古びたファイルの積まれた様子が様々な角度から撮られていることに惹きつけられたり、やなぎみわの「グロリア&レオン」に出てくる女子校生(?)を見ていると、かつて見た彼女のエレベーターガールの作品などを思い出していかにもやなぎみわらしいと思ったりした。

       そしてこの日は19時から田中功起の「一台のピアノを五人のピアニストが弾く(最初の試み)」という映像作品の上映会があったのでそれも観た。タイトル通り、一台のピアノの前に5人が座って弾くのであるが「不協和音はだめだ」「音楽性が感じられるものを」とか、ピアニストたちがまず議論をして、それから弾いてみて、良かったところ悪かったところを話し合ってまた弾いてみる、を繰り返すのだ。その真剣な議論に感心したり、思わず笑ってしまったり。実際に映像で見てみるとタイトルから想像していたもの以上に複雑なプロセスを映していた。

       見て聞いて体験したひとつの出来事を記録、表現するにも、言葉で表現するのと、絵で表現するのと、音で表現するのと、映像で表現するのとではその現れ方が違う。だからすべての表現者にこの展覧会を見てほしいと思った。もちろん映画が好きな人も、現代美術が好きな人も。そんな展覧会だった。


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      フランシス・ベーコン展(豊田市美術館)

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        7/20にに豊田市美術館にて「フランシス・ベーコン展」を鑑賞しました。この展覧会は2013/9/1まで豊田市美術館にて開催されています。いま内容や批評を読みたくないという人はここから下は読まないでください。












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        blog20130721

        (画像はフライヤーです)

        2009年にジュゼッペ・ペノーネ展を鑑賞して以来、実に4年ぶりに豊田市美術館へ行くことになった。今回はフランシス・ベーコン展。20世紀を代表する画家であるというのに、私はこの人の絵をまとめて見たことはない。しかもこの展覧会は東京と豊田のみの開催だという。なんとか見に行きたいと思ったが東京での展示は見に行けず、豊田ならなんとか行けるだろうと思って頑張って行った。

        しかしいざ出かけてみるとずいぶん長距離だった。京都からJRに乗って米原と大垣で乗り換えて名古屋へ行き、名古屋からは地下鉄で伏見まで行ってそこから豊田市へいく電車に乗り、豊田市駅から徒歩約15分。朝早く家を出たのに豊田市美術館に着いたのは11時半。既にかなり疲れたので美術館のレストランで昼食をとってから鑑賞することにした。

        この展覧会は『1 移りゆく身体』『2 捧げられた身体』『3 物語らない身体』というように「身体」に焦点をあてていることがうかがえる。だから私もベーコンの描く身体に注目した。

        『1 移りゆく身体』では、1965年を境に描かれなくなった教皇や枢機卿の肖像、エジプト美術に関心が深かったことから描かれたのであろうスフィンクスの絵、そしてファン・ゴッホの絵をもとにした作品などが展示されていた。「叫ぶ教皇の頭部のための習作」は、まさに「叫ぶ」瞬間が描かれているようで、そのラフな筆致もよかった。また「教皇のための習作 VI」はベラスケスの教皇の絵をもとに制作されたそうで、緋色のふっくらした法衣をつけた教皇の顔は、ぶっくり膨れていた。またシンプルな背景と椅子の描写が目をひいた。「スフィンクス」は人の像とスフィンクスが融合する寸前の、なんだか亡霊のような描き方が面白かったし、「スフィンクス―ミュリエル・ベルチャーの肖像」はベーコンが常連だった酒場の女主人とスフィンクスを融合させ、オレンジ色の空間、ピンクのついたてがこの絵を一層個性的にしていた。

        『2 捧げられた身体』に展示された作品になると、より一層、ベーコンの描く人体に目を奪われた、それは私に、身体は肉の塊、脂肪の塊なんだということを感じさせた。「歩く人物像」は、暗緑色の背景からぬっと半身を出す人物がとても印象的だった。また「裸体」は腕も乳房も跳躍しているような裸体が、そのエネルギーまでも発散しているように感じられた。また、チラシの画像にもその一部が使われている「ジョージ・ダイアの三習作」は、顔が動的に歪んでいて、顔面中央付近には黒い円形の穴が描かれ、作品の説明に「自己破壊の欲求をみるべきなのかもしれない」と書かれていたのだが全くその通りだと思った。

        そして『3 物語らない身体』。ベーコンは複数の空間・人物を描いても、そこにストーリーが生まれることを避けようとした。「三つの人物像と肖像」はタイトル通り3つの人物像と肖像が描かれているにも関わらずそこには物語が見いだせない。それは偶然というよりはやはり周到に物語を避けているように見える絵だ。また「三幅対」(1987)は闘牛をモチーフにした作品で、3枚のパネルがつながっているようにも見えるが、それぞれのパネルの地面はつながらず、3枚のパネルは断絶している。そしてベーコンが亡くなる数か月前に描いた「三幅対」(1991)では、頭部と下半身をつなげた人体を配置している。この絵にはちょっと物語を感じた。私が勝手に感じただけだが、ベーコンの画家としての歩み、集大成みたいなものを感じた。

        具象と抽象のはざま、人物と人体のはざま。私はベーコンの画業から、たくさんのものを学ばなければならないと思いながら電車を乗り継いで帰宅した。



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        「狩野山楽・山雪」展(京都国立博物館)

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          5/11に京都国立博物館にて「狩野山楽・山雪」展を鑑賞しました。この展覧会は2013/5/12まで京都国立博物館にて開催されています。いま内容や批評を読みたくないという人はここから下は読まないでください。





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          blog20130511

          (画像は展覧会のチラシです)


          室町時代から江戸時代にの約400年もの長きにわたって活動し続けた日本絵画史上最大の画派、狩野派。その中でも桃山時代の巨匠ともいえる狩野永徳の没後、桃山から江戸への過渡期に狩野派の絵師たちは運命を大きく左右されたという。そうして江戸に移り徳川幕府御用絵師となった「江戸狩野」と、京都にとどまった永徳の弟子筋「京狩野」とに分かれていったわけであるが、本展覧会は「京狩野」の初代山楽、二代山雪に焦点を当てた展覧会である。

          まずは狩野山楽。山楽は永徳の有力な弟子で、永徳の力強い画風をよく受け継いだという。絵を見ていくと、なるほど迫力のある絵が多い。例えば重文の「龍虎土屏風」は、振り向く虎、舞い降りる龍、どちらもスピード感があり、木や笹の描写にも勢いがある。また「竹虎図絵馬」「繋馬図絵馬」といった虎や馬を単独で描いたものも、力強く、躍動感がある。また人物描写も素晴らしく、重文の「文王呂尚・商山四皓図」を見てすごいと思ったのは人物の顔は細かく描き、服などは勢いある線描で、しかもそれがバランスがとれていて違和感がないことである。私なんかはある部分を細密に描いてほかの部分をそうしなかったらいつも木に竹を接いだようになるのに。技術が優れていてバランスがとれているのだろうなあと思った。また「帝鑑図押絵貼屏風」の太い線による建物の描写も面白かった。

          そして京狩野は山楽から山雪へと受け継がれていく。狩野山雪は山楽の門人となり、のち娘婿となった。展示の中には山雪が主体となって筆をとり、晩年の山楽が背後から支えて完成させた作品もあった。その中では重文の「朝顔図襖」が華やかでいいなあと思った。ひとつひとつ丹念に描かれた朝顔や菊などの花が実に可憐なのである。

          狩野山雪は学者としての一面も持っていたというが、それが絵にも表れているのか、かなり個性が感じられた。なかでも「長恨歌図巻」という上下二巻にわたる絵巻は玄宗皇帝と楊貴妃のラブストーリーを描いたもので、それが人物にしても建物にしても非常に丹念に描かれ、さぞかし膨大なエネルギーを注いだのだろうと驚嘆した。また重文の「蘭亭曲水図屏風」も描き込みがすごく、八曲二双の長大な画面に人物や建物や樹木などが細かく描かれ、豪華かつ濃密な展開が目の前に広がった。同じく重文の「雪汀水禽図屏風」はうっすら雪をかぶった松がもちもちっとしていて面白く、波の描写は細やかでうねりまくり、その中を飛翔する鳥の群れは縦横無尽である。ほかの作品も、例えば動物の顔がどこかとぼけていたりすねていたりと人間臭かったり、とにかく個性的なのが多いが、なかでも上記の作品の出来は図抜けている。曽我蕭白や伊藤若冲など後世の絵師に影響を及ぼしたといわれるのも納得であった。

          この展覧会で知ったこともあった。山楽の「帝鑑図押絵貼屏風」の楼閣の描写は中国絵画の伝統的な技法「界画」を学んで描いたもので、その「界画」とは定規を用いて建築物を緻密に描く技法であること。そして山雪の「長恨歌図巻」の彩色は仏画の伝統技法である裏彩色、つまり絹地の裏側からも彩色がほどこされていること(それによって色彩が単に濃くなるだけでなく深く強い色味になる)。絵を描くためには技法を色々と学ぶことも、印象的な表現をするために必要なのだなと思った。もっとも、自分のものにすることが難しいけれど……。

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          「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」「ゴッホ展 - 空白のパリを追う」(京都市美術館)

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            blog20130419a

            blog20130419b

            (画像は展覧会のチラシです)

            4/19に京都市美術館にて「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」「ゴッホ展 - 空白のパリを追う」の2つの展覧会を鑑賞しました。「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」は2013/6/9まで京都市美術館にて開催されます。「ゴッホ展 - 空白のパリを追う」は2013/5/19まで京都市美術館にて開催されたあと、5/26から7/15まで宮城県美術館、7/22から9/23まで広島県立美術館に巡回します。いま内容や批評を読みたくないという人はここから下は読まないでください。





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            少し寒の戻りがきたかと思うような、しかしハナミズキなど春の花がたくさん咲いている京都。今日は美術鑑賞のため京都市美術館へ行ってきた。京都市美術館では現在2つの展覧会を開催している。ゴッホ展が混んでいるときいていたので体力的に2つ鑑賞できるかどうか心配だったが、頑張って鑑賞してきた。

            まずは「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」から。

            これはオーストリアとスイスの間にあるリヒテンシュタイン侯国の国家元首、リヒテンシュタイン侯爵家の個人コレクションの中から選りすぐったものを展示したもの。ルネサンス、バロック、17世紀フランドル絵画、17世紀オランダ絵画、そしてルーベンスの絵画などが展示されていた。展示をみていくとルネサンスから新古典主義までのヨーロッパ美術史がたどれるようになっていてそれがちょっと楽しかった。

            この展覧会で新しく知った画家や、改めて良さを再認識した画家が、色々あった。新しく知った画家は、例えばマルカントニオ・フランチェスキーニ。神話や聖書を題材に描いている。「大蛇ピュトンを殺すアポロンとディアナ」や「アドニスの死」は躍動感あふれる構図と赤い衣服の爽やかな色合いが印象に残った。ルネサンス期の絵画でヘルマン・ポステュムスの「古代ローマの廃墟のある風景」は、こんな風景を私も描いてみたいなあと思った。

            17世紀フランドル、17世紀オランダ絵画は、今まで他の展覧会でもお目にかかったことのある画家の作品が並び、改めてその良さを再認識した。例えばヤン・ブリューゲル2世の「死の勝利」は骸骨がラッパを吹き、人々は慌てふためいているようで、独特の世界が感じられた。またレンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レインの「キューピッドとしゃぼん玉」は、キューピッドとしゃぼん玉という組み合わせで愛のはかなさを象徴している。私も象徴ということをもっと学ばなければなあと思った。そしてフランス・ハルスの「男の肖像」、フランス・ハルスの描く人物はどれも表情豊かで面白いなあと作品を見るたびに思ってきたが、今回もそう思った。

            そしてペーテル・パウル・ルーベンス。展覧会のチラシにも使われている、愛娘を描いた「クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像」は気品があって、とても魅力的であった。また「マルスとレア・シルヴィア」は駆け寄る軍神マルスと驚いて身を引く巫女のレア・シルヴィアという構図に緊張感が感じられた。そして「キリスト哀悼」はキリストの死を悼む人々の様子から、こちらにまで悲しみが伝わってくるようだった。ルーベンスは品格を保ちつつ人々に感動を与えるのが上手い画家のように思った。それがこの展覧会での一番の収穫だった。


            続いて「ゴッホ展 - 空白のパリを追う」。

            この展覧会は、副題の「空白のパリを追う」の通り、フィンセント・ファン・ゴッホのパリ時代の作品にスポットライトを当て、ゴッホの画風の変遷や、ゴッホの作品にまつわる様々な疑問を分析した展覧会であった(ちなみに何故パリ時代が空白なのかというと、ゴッホ研究は弟テオとの書簡をもとに検証されてきたのですが、パリ時代にはゴッホはテオと同居していたため書簡が存在せず、詳細がわからなかったため)。

            ゴッホのパリ以前の絵は写実主義で、しかも色が全体的に暗く沈んでいた。1886年2月にゴッホはパリに出て、花ばかり描いているうちに画風が劇的に変化し、大胆で自由、明るい色彩になった。この、花ばかり描いていた時期があったということが、植物園で花を描きまくっている私にとっては親しみが持てた。「カーネーションを生けた花瓶」はなるほど大胆な筆致で花が鮮やかである。

            ゴッホは実験に実験を重ねていることもわかった。色彩を明暗の調子に沿って組み替えており、暗い部分の変化も明るい色彩を混ぜているのが「グラスのある自画像」で、背景にも明るさがあり柔らかい感じがする。さらに1887年頃ゴーギャン、ロートレックらと知り合いになった頃は厚塗りから薄塗りになり、より明るさと色彩が増し、ありのままを描くことより形式を持つことにこだわり始めたようである。「アブサンのグラス」は、なにげないグラスが多数の色で表現されている。ゴッホはさらに実験を重ね、初期の自然重視の傾向と抽象的形式性の融合をはかった。「積み上げられたフランス小説」は、本が積み上げられているが黄土色とピンク色を主とした不思議な色づかいである。また「グレーのフェルト帽の自画像」はこれぞゴッホという感じの筆のタッチの自画像でついつい何回も見てしまった。

            ゴッホは1888年の初め、アルルへ移住した。晩年の独特のスタイルへの変化のもとになったのはパリ時代だったんだなと思った。

            その後別展示室で、クローズアップ「ファン・ゴッホ」と題し、近年の研究成果と思われる作品と資料が並んでいた。例えば「ヤマウズラの飛び立つ麦畑」は、もともとは「ヒバリの飛び立つ麦畑」と呼ばれていた作品なのだが、自然愛好家たちから絵に描かれている飛んでいる鳥はヤマウズラではないかという指摘があったのだそうだ。ヤマウズラはヒバリより大きく、絵に描かれているように低く飛ぶからだそうだ。
            また「テオ・ファン・ゴッホの肖像」は最近までゴッホ(フィンセント)の自画像とされていた作品だということもわかった。研究成果で、フィンセントはほおひげを剃らなかったが、テオは剃っていたこと、フィンセントは赤毛だったが、テオはもっと茶色い毛だったことなどから詳しく調べて判明したそうだ。展示室ではほぼ同じサイズのフィンセントの自画像とテオの肖像が仲良く並べられ、兄弟の絆を感じた。

            ゴッホ展の会場はかなり混雑していて、会場でメモをとる(私は美術館などの大きな展覧会ではたいてい鉛筆でメモをとる)のにひと苦労した。しかし会場内には私が見ただけでも私のほかに3人はメモをとっている人がいた。この展覧会はどちらかというとただきれいな絵を見て楽しみたいという人よりは、コアな美術ファン、ゴッホのファン、美術史を学んでいる人などがより楽しめそうな展覧会かなと思った。



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            開館記念展I 横尾忠則展「反反復復反復」(横尾忠則現代美術館)

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              blog20130210a

              2/10は2つの展覧会を鑑賞しました。まずは横尾忠則現代美術館にて鑑賞した「開館記念展I 横尾忠則展「反反復復反復」」について感想を書きます。この展覧会は2/17まで横尾忠則現代美術館にて開催中です。いま内容や批評を読みたくないという人はここから下は読まないでください。






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              昨年の11月、むかし兵庫県立近代美術館だった兵庫県立美術館王子分館の西館がリニューアルし、横尾忠則現代美術館が開館した。王子公園のあたりは文化の香りがするところなので、分館を再活用してこのような美術館ができたのは実に喜ばしいことである。どのような美術館なのだろうかと興味深く思いながら美術館へと向かった。

              着いてみると、王子分館の一角がこじんまりと改装されていた。小さなカフェも併設されていた。館内に入るといきなり一角にブルーシートが敷かれていてその上にブロックが置かれ、作品が展示されていた。昨年の12/7〜9と12/23〜24に横尾忠則が公開制作した作品だった。公開制作見たかったなあと思いつつ、そのいささか暗い色調の作品をしばし眺めたあとチケットを買い、2Fの展示室へ上がった。

              展覧会のタイトル「反反復復反復」とは、横尾忠則の作品はある特定のモチーフが繰り返し描かれることが大きな特徴であることに由来する。既存のイメージを描き写すこと=“模写”が極めて重要な要素のひとつだという。彼は自分の作品さえも模写し、それは確信犯的な営みであるという。

              展示室に入る。現在にも続けられているY字路シリーズの作品「暗夜行路 N市-II」「暗夜行路 N市-II 三度(みたび)」「暗夜行路 N市-II 四度(よたび)」と、同じ彼の故郷西脇市のY字路をモチーフとした作品が3点並べられていた。同じモチーフだけど、ひとつはごく普通の光景、ひとつは雨の日の夜のように道路が濡れている表現がなされ、もうひとつはより明るく灯りが照らされている。考えてみれば、例えば同じ場所でも、天気によって、また時間によって、また季節によって、見える光景が違う。その違いをバリエーションとして描こうと思うのは自然な考えと思う(彼の場合はそういう考えで描いたのとは違うかもしれないが)。

              また彼は様々な場所のY字路を繰り返し描いている。Y字路といっても周りの建物などによって風景が違ってくる。つまりY字路の形にこだわり続けているようでもある。彼の場合はそれを何枚も何枚も、どんどん描くところがすごいんだと思う。

              展示室では特定のモチーフを繰り返し描いた絵が数枚ずつ、そうわかるように展示されていた。色々な表現をしているなと思いつつ、やっぱり特にこの絵がいいなと1つを選んでしまう。例えば「アダージョ1958」は新婚の肖像をモチーフにしたものだが、その周りを小さなたくさんの人の顔が銀河のように渦巻いていて美しい絵だ。また「宇宙蛍」は蛍が星になって空に浮かんでいるようでこれもすごく美しい。

              「愛のアラベスク」はいろんな色のレンガ?(あるいはタイル?)を敷き詰めたような模様が絶妙に組み合わされて美しい。ちょっとクリムトみたいな感じもする。「鎮魂の海」「300年の宴」は浦島太郎をモチーフとしているが前者が地味な色彩で、後者は暖かい色彩で竜宮城が描かれていて、私は後者の方が好き。並べて展示してあったので面白かった。

              展示室は3Fにもあった。3Fは60年代の絵画シリーズ「ピンクガールズ」を後年再生産したものと共に展示してあった。作品の横にはひとつひとつ制作年が書かれていた。あの「腰巻お仙」のポスターに出てくるような、ピンクの両手両足をひろげて飛ぶ女性を絵の一要素として取り入れた絵も2002年、2007年に描いていた。これに関してはポスターの方が好きだなあと思った。

              例えば自画像を繰り返し描いた画家は昔からいたが、横尾が特定のモチーフを繰り返し描くのはそれとは違う考えであると思った。描いてみたいものを描きたいように描く。一度描いたら今度は異なったバリエーションで描く。それも描きたいから。そんな感じがした。

              展示室を出て併設のカフェで昼食をとりながら、この美術館は横尾の作品を展示するとともに、国内外の色々な現代美術の展覧会もしてほしいなあと思った。


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              「エル・グレコ展」「宮永愛子 なかそら」(国立国際美術館)

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                12/9に国立国際美術館にて「エル・グレコ展」「宮永愛子 なかそら」を鑑賞しました。この展覧会は12/24まで国立国際美術館で開催されます。
                私のブログの読者からのご要望により、今回から展覧会フライヤーが手に入った場合はその画像をここに載せることにしました。
                いま内容や批評を読みたくないという人はここから下は読まないでください。




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                おそらく今年最後となるであろう美術館での美術鑑賞は、寒風吹きすさぶ中、国立国際美術館へ行って鑑賞してきた。晴れていたのが救いだったが。



                blog20121209a

                まずはスペイン絵画の巨匠、エル・グレコ展を鑑賞。没後400年を迎えるとのことでこの展覧会が大回顧展だという。なんでも11/30にエル・グレコ展の入場者数が10万人を突破したとかで、入場制限でもかかっているのかと思いきや、並ぶこともなくすんなり展示室に入れて、混み具合もそれほどでもなかった。

                展示では肖像画も多く並べられていて、例えば「芸術家の自画像」は抑え気味の色彩に、こちらを真っすぐ見つめる目が良い。聖書に出てくる聖人も肖像画のように描かれていて、それらも存在感がある。

                でも私が気に入った絵が多かったのは、劇的な表現と構成で描かれた宗教画である。なかでもスペイン国王フェリペ2世が最後の審判の裁きを待つという主題の「フェリペ2世の栄光」は、多くの人物たちの躍動感溢れる描写、そして上部の天上世界のあふれる光が素晴らしく今回見た中で一番好きな絵である。また「聖衣剥奪」の積み上げられたような群像の表現、「キリストの復活」の縦長の画面に人々の間から昇っていくようなキリストという構図も印象的である。そして高さ3mを越す祭壇画の大作「無原罪のお宿り」は、人々が天使になり天へ昇っていくような、すべてが空の高みへと昇っていくような世界が描かれていて迫力があった。


                blog20121209b

                続いて「宮永愛子 なかそら」展を鑑賞した。宮永愛子は主としてナフタリンを用いて作品を創っている。ナフタリンは常温で昇華するため最初の形が保たれず、透明ケースに閉じ込められた作品たちには静けさ、はかなさが感じられる。

                今回は6点が展示されており、なかでも「なかそら―空中空―」(正確には、右側の「空」の字は鏡文字)はナフタリンで創られた蝶がいくつも配置され、ある蝶は少し羽が欠け、またある蝶は羽がだいぶ崩れていて、はかなさを強く感じた。万物は移り変わっていく、そういうことがよく表されている作品だと思った。スケールは大きいのだけれども、繊細。宮永愛子の作品からはそんな感じを受けた。ちなみに「なかそら」というのは宮永の造語で、古語に「なかぞら(どっちつかず、心が落ち着かないさま)」という言葉があるがその類似語らしく、宮永の作品の状態を表している言葉のようだ。

                良質な展覧会を2つ鑑賞することができてよかった。

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                マウリッツハイス美術館展(神戸市立博物館)

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                  10/8に神戸市立博物館にて「マウリッツハイス美術館展」を鑑賞しました。この展覧会は2013/1/6まで神戸市立博物館で開催されます。いま内容や批評を読みたくないという人はここから下は読まないでください。





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                  マウリッツハイス美術館とは、所蔵作品約800点と小規模ながら、選りすぐりの名品を集めていて、中でも17世紀オランダ・フランドル絵画のコレクションの質の高さが素晴らしい美術館とのこと。今年大規模な増改築工事が行われるということで、日本での巡回展が開催されることとなった。
                  この美術館のコレクションの中でも目玉といえるヨハネス・フェルメールの作品「真珠の耳飾りの少女」は、2000年に大阪市立美術館でずいぶん並んだ挙句に、人だかりのなか苦労して鑑賞し、一発で私に強烈な印象をもたらした作品である。その作品が再び日本に来るというのだから、もう一度見たいと思い神戸まで足を運ぶことにした。

                  会場の神戸市立博物館へ行くと既にチケットを買い求めようとする人の列が出来ていた。ツアーと思われる岡山ナンバーの観光バスから降りて即入館する人たちもいた。展覧会場に入るまで待ち時間30分の表示。並んで待っていたが常設展示室の中で並んでいたのでその展示をみていたからイライラすることはなかった。そうして階段で3Fまで上って展示室へ入った。

                  展示は「第1章 美術館の歴史」「第2章 風景画」「第3章 歴史画(物語画)」「第4章 肖像画と「トローニー」」「第5章 静物画」「第6章 風俗画」の6つの章にわかれて展示されていた。

                  展示を見ていてまず心にひっかかったことは「ごあいさつ」の中に書かれていた言葉だ。「ごあいさつ」には「17世紀オランダでは、経済的な繁栄を背景に、市民たちが優れた絵画を購入し、自邸に飾るようになりました。」と書かれていた。これを読んで、当時の市民は今回展示してあるような絵をいくらで買ったんだろうかと考えた。お手頃価格で買ったのかなとも思ったが、これらの絵画の見事な描写を見ると、市民たちは自分にとっては高価な買い物をしたのかもしれないなとも思った。

                  歴史画(物語画)のコーナーでは興味深い絵画があった。レンブラント・ファン・レインとアーレント・デ・ヘルデルが同じ「シメオンの賛歌」のタイトルの絵を描いていた。シメオンが幼子キリストこそ待ち焦がれていた救世主であると悟り、賛歌を歌うという題材であるが、レンブラントは広大な空間に人物を劇的に照らし出しているのに対して、デ・ヘルデルは人物を画面いっぱいにクローズアップしている。同じ題材でも構図の決め方などが全く違うと雰囲気も違ってくる好例を見ることが出来てよかった。
                  またフランドルの画家ペーテル・パウル・ルーベンスの「聖母被昇天(下絵)」は、天に向かって聖母や天使が舞い上がる、その軽やかな感じが美しいと思った。

                  肖像画と「トローニー」のコーナーに入ってすぐ「真珠の耳飾りの少女」があった。そしてその前には客が順番に見られるように列を作るようになっていた。ここでまた絵の前に来るまで並ぶわけだが、行列が進む途中で絵の前に来るポイントがいくつかあったため、何回も正面から見られた。そのたびに、やっぱりきれいだなあと、ため息が出た。そして絵の前に来て(あまり長い時間見られなかったが)鑑賞。暗い背景から浮かび上がる青いターバンを巻いた少女。すごいコントラスト。存在感があった。やっぱりもう一度見に来てよかった。
                  ちなみにトローニーとは、特定でない、架空の、つまり特定の誰かに似せて描いたものではない頭部を描いた人物画で、肖像画とはみなされない。「真珠の耳飾りの少女」もトローニーである。

                  肖像画と「トローニー」のコーナーではフランス・ハルスの描写力に目をみはった。「笑う少年」では奔放な筆致で生き生きとした少年の姿を描き出している。かと思えば肖像画「ヤーコブ・オリーカンの肖像」「アレッタ・ハーネマンスの肖像」ではレースなどの装飾も細かく描いていてその精緻さに目を奪われた。
                  またレンブラントのそれぞれ年代の異なる自画像や肖像画、トローニーが並んでいて、見比べながら興味深く鑑賞した。

                  そして静物画、風俗画のコーナーもひとつひとつの絵を、少々混雑する中できる限りじっくりと見て回り、堪能した。

                  私は抽象画も描くが、写実的な絵を描くのも好きである。今回の展覧会で見た絵のように描く技術は私にはないが、せめて絵に対する情熱だけは負けたくない。そうやって自分を奮い立たせるのにふさわしい、名品の数々を鑑賞することができたと思う。

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                  スーパー・ワールド・オン・ペーパー(ボーダレス・アートミュージアムNO-MA)

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                    9/29にボーダレス・アートミュージアムNO-MAにて「スーパー・ワールド・オン・ペーパー」展を鑑賞しました。この展覧会は2012/11/11までボーダレス・アートミュージアムNO-MA(滋賀県近江八幡市)で開催されます。いま内容や批評を読みたくないという人はここから下は読まないでください。





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                    ボーダレス・アートミュージアムNO-MAにはたまに行っている。年1回ぐらいだろうか。NO-MAは障害のある人の表現活動の紹介に核を置いているようだが、私はNO-MAから送られてくるフライヤーを見て(何かの展覧会で多分アンケートに答えたから送られるようになったんだろう)、面白い絵がありそうだ、と思った展覧会を見に行く。
                    今回も送られてきたフライヤーを見て、載っている絵が面白いと思ったので、見に行くことにした。

                    展示されている作家は古久保憲満と松本寛庸という2人の作家。

                    まず松本寛庸の作品を見た。小さなカケラの集合体のような松本の絵は緻密だ。特に「サグラダファミリア大聖堂」「クレムリン」はその光景を鉛筆でものすごく細かい要素に分け、色鉛筆で塗り分けて仕上げており、工芸的な感じもしてきれいだなあと思った。
                    また「世界の旅客機」は色々な航空会社の旅客機を紙1枚に約30機、それを13枚も並べていて、この人は世界の旅客機によほど心ひかれていたのかなと思った。
                    さらに「国盗り合戦」では大画面を細かい要素にわけ、それらを点描による塗り分けをしていて、その細かさに思わず見入ってしまった。松本の絵は小さなモチーフの反復も見られ、色のカラフルさ、細やかさに満ちた世界を丁寧に作り上げているなと思った。

                    続いて古久保憲満の作品。この人の作品は迫力がある。あらゆる方向から建物や車の列や塀(?)などが描かれ、活気あふれる街が描かれている。特に「発展する大連市 ナンバー1」は沢山の車がところ狭しと走り回り、まるで昆虫の大発生のようだった。車と建物が渾然一体となっているようでさえあった。
                    また「北朝鮮とアメリカの刑務所をモデルにした街」というのも建物や車で空間が埋め尽くされ、黒々とした線が迫力があった。画面右上あたりに格子のようなものがいくつも描かれていてそれが刑務所だろうかと思った。しかしその周りにはよく見るとサークルKやローソンや吉野家なんかが描かれていて、やっぱり現代の日本に生きて絵を描いているんだなあと感じた。
                    そして「復興する東日本福島県」は高層ビルが林立し、観覧車なども描かれ、そしてやはり車が上へ下へと走り回っており、高層ビルにはそれぞれに「ふくしまヒルズ」「天空クルーザービル」などの文字が書き込まれ、そのほかにも言葉が書き込まれてダイナミックであった。私はこの絵に古久保の福島県に対する思い、復興を願う気持ちが感じられて感動した。

                    2人に共通するのは、独自の世界を創り上げ紙の上に表現すること。私は最近見たままを描くのが多くて、自分独自の世界を表現することがあまりできていなかったので、その世界の創り方も含め興味深く鑑賞したし、勉強になった。

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                    近代洋画の開拓者 高橋由一(京都国立近代美術館)

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                      9/16に京都国立近代美術館にて「近代洋画の開拓者 高橋由一」展を鑑賞しました。この展覧会は2012/10/21まで京都国立近代美術館で開催されます。いま内容や批評を読みたくないという人はここから下は読まないでください。





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                      高橋由一といえば中学だか高校だかの歴史か美術の教科書で見た「鮭」の作者である。縄で吊るされた新巻鮭を描いた作品で、重要文化財である。ただ私はその絵の実物を見たことはこの年になってもまだなかった。それに展覧会のチラシを見ると「洋画を日本に普及するのが自分の果たすべき使命」「日本には洋画が必要なのだ、ということを必死になって世間にうったえた」などと力強い言葉が並んでいたので、その情熱に触れたく鑑賞することにした。

                      朝9時頃に美術館に着き、開館の9時半まで美術館付近で時間を潰した後、開館とほぼ同時に入館し、鑑賞を始めた。会場の企画展示室に入ると目の前に展示されていたのが重要文化財の「花魁」だった。5人ほどの小さな人だかりが出来ていた。「花魁」は当時美人として名高かった新吉原の娼妓・小稲をモデルに描いたと言われている作品だが、見てみるとどうしても美しいとは言いがたい。妙な存在感はあるけれど、着物はごわごわしているし、顔も、モデルは当時23,4歳だったらしいがそれより老けて見える。それまでのいわゆる美人画を描く気は、由一にはなかったのかなあ、と感じた。

                      展覧会の構成は下記の通りであった。

                      プロローグ 由一、その画業と事業
                      1 油画以前
                      2 人物画・歴史画
                      3 名所風景画
                      4 静物画
                      5 東北風景画

                      プロローグでは由一の自画像が展示されていた。現存する唯一の油彩の自画像「丁髷姿の自画像」は、由一の初期の作品だが、面長で口の大きい特徴がよく出ている。ただ、細部の描き込みにこだわりすぎたか、顔や身体などの全体的な形がいびつな気がした。
                      また当時の資料「高橋由一履歴」は由一が自らの画業を振り返り、息子が編集して自費出版したもので、由一が自らの画業を事業として考えており、後世に伝えようとしていたことが伺える。

                      油画以前では「上海日誌」や「スケッチブック」など、とにかくなんでも見て描こう、そして記録に残そうという気持ちが伝わってくる。また「博物館魚譜」は既に細密に真に迫る描写をしており、のちの油画につながるものだと思った。

                      人物画・歴史画では、多くの肖像画が展示されていたが、ほとんどが写真を見て描かれたようだ。その中では「第十一代山田荘左衛門顕善像」が、なにげない、穏やかな表情をとらえていてリアルだなあと思った。「第十一代山田荘左衛門顕善像」については制作依頼から納品までの記録が残っており、この絵に関してもまず写真をもとにしているが、本人に会って写生もして下図を作成したようである。また由一は歴史を題材にした絵も描いており「日本武尊」は強さ、迫力を感じさせる作品だと思った。

                      名所風景画は、その構図や、名所の風景という題材が、浮世絵の影響を受けているなと思った。というよりも、浮世絵に描かれた風景を油絵で再現したのだろうか?と思った。「墨水桜花輝耀の景」の桜の枝が画面を覆う構図などは浮世絵を参照したものだろう。でも桜の花びらがキラリと光ってきれい。それから「中州月夜の図」は漆黒の闇の中央上部に月が描かれ、月のすぐ下の雲も光り輝いてとても神秘的だ。さらに「鵜飼図」は燃え盛る火に水面を泳ぐ鵜と、船に乗った鵜飼たちが描かれ、明暗のコントラストが強調されていて印象的だった。

                      そして静物画。由一の絵の特徴は、その質感の描写へのこだわりだと思うのだが、それは静物画においてもっともよく発揮されていると、この展覧会を見て改めて思った。「鯛図」「鴨図」と、鯛や鴨の実物が目の前におかれているかのような迫真性があった。「豆腐」なんかはまな板の上に油揚げや豆腐がぞんざいに置かれた絵で、さあ豆腐を買ってきたぞ、これから味噌汁を作ろうかという情景が想像できる。「豆腐」みたいな絵は従来の日本絵画にも見られない絵である。武具を集めて描いた「甲冑図(武具配列図)」は由一の細密描写が存分に発揮され、ものすごく華やかというか賑やか絵になっている。さらに「貝図」は大小・形状の様々な貝殻を横に長い4面の連続した画面に描いており、質感にこだわった表現が不思議な世界をかもしだしている。

                      鮭の絵は3点展示されていた。真ん中に重文の「鮭」左に板に描かれた「鮭図」右に伊勢屋という旅館の帳場に掲げられていたという「鮭」が並べられていた。なんでも鮭は数多く描かれたらしい。目玉商品だったんだろうか。重文の「鮭」は140.0x46.5cmの大きな作品で、この大きさで縄の質感やぎょろりとした目、鱗や皮の質感など丹念に描写されると本物が目の前にあるようである。また板に描かれた「鮭図」は板の上にこれまたリアルな鮭が描かれて、一種のだまし絵のようである。鮭の絵が描かれたのは由一の最も脂の乗った時期であるという。絵を見たらそれも納得である。

                      最後は東北風景画。明治14(1881)年以降の東北地方に取材して描いた風景画を中心に、東北の人々の肖像画も展示してあった。風景画は東北の実景に即して描かれ、江戸の名所絵的な風景画とは違った記録的な作品であった。そして膨大な石版画の下絵が展示されていた。由一が明治17(1884)年に当時福島と栃木両県の県令であった三島通庸の委嘱を受け、100日を超える栃木・福島・山形3県の写生旅行で描いたものだ。近代化の過程、まだ多く残る自然を克明に記録していったこれらの下絵を見ると、自ら課した使命のために頑張る姿を想像してしまうとともに、展覧会のチラシには「絵が好きで画家になりました、といった甘さは微塵もなく」と書いてあったがこれは絵が大好きでないとできない仕事だろうと思った。

                      洋画の普及をはかった高橋由一。由一は洋画を、社会の役に立つもの、実用的なものと考え、洋画で社会に貢献しようと実践していたようで、やはり絵を描く私にとっては考えさせられるものがあった。




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                      バーン=ジョーンズ展−英国19世紀末に咲いた華−(兵庫県立美術館)

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                        9/9に兵庫県立美術館にて「バーン=ジョーンズ展−英国19世紀末に咲いた華−」を鑑賞しました。この展覧会は2012/10/14まで兵庫県立美術館にて開催されたあと、2012/10/23から12/9まで郡山市立美術館に巡回します。いま内容や批評を読みたくないという人はここから下は読まないでください。





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                        最初バーン=ジョーンズという名前を聞いた時はピンとこなかったのだが、生涯の友ウィリアム・モリスとの共同事業によって数々の装飾デザインの仕事をした人だと知り、また某所でもらった展覧会のチラシを見てなんだか物語が感じられる絵だなあと思い、私にないものがこれらの絵の中に沢山あるに違いないと思い見に行くことにした。

                        エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ(1833-1898)は19世紀末のイギリス唯美主義美術を代表する画家であり、師ロセッティらが結成したラファエル前派の系譜に連なる最後の巨匠であるとのこと。ギリシャ神話や中世文学、聖書などを題材に、繊細で装飾的な絵画を描き出している。

                        中でも見ごたえがあったのは、やはり連作の絵である。

                        「闘い:龍を退治する聖ゲオルギウス」―連作「聖ゲオルギウス」(全7作品中の第6)は、獰猛な龍、それと闘う勇ましい聖者、そばで見つめる王女の不安げな表情と、心ひかれる劇的な画風の作品である。

                        「泉の傍らに眠るプシュケを見つけるクピド」―連作「クピドとプシュケ」(パレス・グリーン壁画)は、表題のシーンをやわらかいタッチで、ロマンチックに描き上げており、神話の世界に引き込まれるようだ。

                        「ピグマリオンと彫像」の連作は4点展示されており、物語を見事に絵画で具現化している。「ピグマリオンと彫像―《恋心》」では物思いにふけるピグマリオンの姿が繊細に描かれ、もの静かな人柄なのではないかと想像させる。「ピグマリオンと彫像―《成就》」で描かれた女性の表情がなんとなく硬いのは、彫像から生身の人間に変わったからかなどと考えたり。

                        「果たされた運命:大海蛇を退治するペルセウス」―連作「ペルセウス」は、主題のドラマ性もあってか大変迫力を感じた。巨大な怪物と闘うペルセウスは重厚な色使いで、その横に立つアンドロメダの裸身の眩さと強いコントラストをなしている。

                        そして「眠り姫」―連作「いばら姫」は、4人の女性がみな異なるポーズで眠っており、花や布のひだなどが装飾性を高めている。静かな、時が止まったようなシーンを見事に描いていた。ちなみにバーン=ジョーンズはおよそ30年にわたって「眠り姫」にまつわる主題を繰り返し描き続けたそうで、この展覧会では「王宮の中庭・習作」―連作「いばら姫」という6点の習作も展示されていたが、いずれも独立した作品ともとれる完成度の高い習作で、この主題に対する強いこだわりを感じた。

                        このほか、運命の女神と彼女が回す車輪、車輪に身をゆだねる3人の男を描いて運命という概念をイメージ化した「運命の車輪」が、その重厚さ、テーマともに深く心に残った。
                        また「東方の三博士の礼拝」のタペストリーも緻密な作りで、色彩が鮮やかだし、周りには花もいっぱい咲いていて美しいなあと思った。

                        展示では数多くの習作も並べられ、綿密に描写を繰り返し作品を創り上げていったのだなと想像した。絵づくりというか、細密な描写や構図のとり方など、いかに美しいものを創るか、色々勉強になった展覧会だった。

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