12/4に三重県立美術館にて「イケムラレイコ うつりゆくもの」展を鑑賞しましたので感想を書きます。この展覧会は2012/1/22まで三重県立美術館で開催されます。いま内容や批評を読みたくないという人はここから下は読まないでください。
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ドイツを拠点に国際的に活躍している作家、イケムラレイコ。彼女の幅広い活動を包括的に紹介する日本で初めての本格的な回顧展が開催されるというので、京都から電車を乗り継いで三重県立美術館へ行った。
展示されていたのは1980年代から現在に至るまでの絵画、彫刻、ドローイングなど。
会場入口でフロアガイドを受け取ると、各展示室には次のように名前がつけられていた。<魚と猫の神話><アルプスのインディアン><原始のかたち><地平線にむかって><うみのへや><人物から風景へ><やまのへや><うかびながら><やみのへや><本>
<魚と猫の神話>に展示されていた80年代前半の絵画とドローイング。耳から木のようなものが勢いよく伸びている「思考」、人の身体から木が生えているような「無題」など荒々しいタッチである。また多数のドローイングは、モチーフと格闘し、感情を真っ直ぐに吐露しているように感じた。
<アルプスのインディアン>はアルプスの山奥で生活をしながら制作された風景画のシリーズで、のちの「山水」と名づけられた一連の絵につながっていくような絵である。この中で「滝」は本当に滝が勢いよく流れ落ちているような作品で、このシリーズはみな抽象的でもあるが柔らかい色調の、日本の滝のように東洋的なものを感じさせる作品群である。
<原始のかたち>では絵画と彫刻が展示されていた。頭に花が咲いているみたいな「手を口に」、植物のような、しかし足も生えているような屹立した形態の「うさぎ寺」、2人の鳥を持った人がよりそいあう、しかし2人には頭部がない「鳥を持った二重の像」、頭がキャベツのような「キャベツ頭」など、人間であるようなないようなもの、人間と動物と植物とをあわせたようなものが並んでいた。イケムラは独自のやり方で「いきもの」を追求していったのではないかと思った。
<地平線に向かって>に展示されていた絵は、そのぼやけた画面と画面を横切る黄色の帯に幻想的な、吸い込まれそうな雰囲気を感じた。画面の中で横たわる少女たちはいったい何を考えているのだろうか。「横たわる少女」はその中でも特に黄色い帯が輝いて見えた。また赤い背景の「赤の中に臥して」、より柔らかい感じの「lying in redorange」は心地よいめまいを起こしそうになった。
<うみのへや>の絵はどれも輝きがあって、自然を愛する心が感じられるようで好きだ。「夜の浜辺」では人物が幾人も描かれ、何をしているのだろうと想像させ、再び闇に消えていきそうな危うさを感じさせる。「みずうみ」はもやもやとして輝いていて、静かな感じ。「よるのうみ」は暗い空に輝く黄色の海、そのコントラストが美しい。
<やまのへや>の「メキシコのあの世」と題された木炭のドローイングは、山が動物のようであったり、顔が描かれているみたいであったり。物語性を感じた。また「山水」と題された一連の絵は、一見東洋的で穏やかに見えるが、山と水がせめぎあうようにも見えた。また人が描かれているのもあったが、まるで人は山と水に溶かされていくように見えた。
<うかびながら>に展示されていた「青に浮かぶ顔」は、青い帯の上に頭部が横たわっており、瞑想的、神秘的であった。
そして<やみのへや>では他の部屋とちがって壁が黒く、壁の1面には言葉がちりばめられ、照明を落として床に丸い台が置かれ、その上にスカートをはいた人物像が5体あった。ここにも「横たわる少女」と名づけられたものがあったが、立体作品であるからかなんどなく生々しく、たった今死んだばかりのような死体のように感じた。他の人物像も、生きているような死んでいるような感じで、<やみのへや>は一種の霊安室ではないかと思った。
人間と動物、植物の間、この世とあの世の間、存在と無の間、東洋と西洋の間、あらゆる境界を飛び越え、行き来する、イケムラの世界がそこにはあった。
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