11/6に大阪市立美術館にて岸田劉生展を鑑賞しましたので感想を書きます。この展覧会は2011/11/23まで大阪市立美術館で開催されます。いま内容や批評を読みたくないという人はここから下は読まないでください。
-------------------------------------------------------------
岸田劉生といえば娘の麗子を描いた重要文化財の「麗子像」である。むかし教科書で見た「麗子像」は、顔があまりかわいくないなあ、などと感じていたものである。ただ肩掛けなどは細かく描かれていてすごいなと思っていた。
今年は劉生の生誕120周年記念、そんな「麗子像」を含む麗子の肖像画を始め、風景画や肖像画、静物画の数々が一堂に会するというので、劉生の美意識を感じたく鑑賞することにした。
展示はおおむね時系列になっていたが、麗子の肖像画は特別に<麗子の部屋>として一室に集めて展示してあった。
初期は後期印象派的表現を試していたようで「外套着たる自画像」はさながらゴッホの絵を優しくした感じの絵であり、軽やかで明るい印象を受けた。また「B.L.の肖像(バーナード・リーチ像)」はその柔らかな色彩と筆づかいがセザンヌに似ているように感じた。
その後、自画像を含めた肖像画が続々と現れた。知人友人の肖像を片っ端から描く様は「岸田の首狩り」と評判になったらしい。これらの肖像画を見ていると、写実を通してモデルの内面へ迫ろうとする姿勢が伝わってくる。
やがて1913年末頃から後期印象派風表現から脱却しようとするかのように、ますます内面への探求を深めていく。このころの自画像は褐色系の色彩を主体とした写実的な表現であった。また「武者小路実篤像」はきりっとした顔立ちが人柄が伝わるようで印象に残る。さらに肖像画は続き、「古屋君の肖像(草持てる男の肖像)」になるとさらに迫真の表現であり顔がつやつやしている。このあたりの肖像画は北方ルネサンスの影響が見られる。
劉生は風景画も描き続けていた。なかでも私は道を題材にした2作品「冬枯れの道路(原宿付近写生)」「道路と土手と塀(切通之写生)」が素晴らしいと思った(後者は重要文化財)。なにげない道が、荒涼たる、永遠と続く道のように感じられるからである。
そして麗子像の数々。重要文化財の「麗子像」は実物を見ると、かわいいなあと思うようになってきた。それに単なる写実を超えた深い美がある。そして単なる肖像画を超えた聖なる雰囲気がある。
ほかの麗子像も興味深いものが沢山あった。「麗子坐像」(1919.8.23)は苦しそうな顔。幼い麗子には肖像画のモデルになるのは苦痛であっただろうことがうかがえる。また「麗子坐像」(1921.11.1)は洋服をきた麗子像である。また「麗子裸像」は赤い裾除をつけて半裸になった麗子を描いたもので、まるで仏像のようで、東洋的な美への志向が読み取れる。さらに「二人麗子」「二人麗子図(童女飾髪図)」のように2人の麗子が描かれているのもあってなぜこんな絵を描いたのだろうと首をかしげてしまった。「寒山風麗子像」に至っては麗子が寒山拾得図みたいに描かれて、グロテスクだけれども遊び心があると思った(ただ麗子本人は嫌だったかもしれないが……)。
ほかに劉生は静物画も重要なものと位置づけており作品を残している。「静物(湯呑と茶碗と林檎三つ)」はリズム感を感じさせる配置で、今にも転がりだしそうである。「林檎三個」は林檎を3個並べた単純な構図であるが金色に輝く林檎が存在感がある。
1929年、劉生は最初で最後の海外旅行に出かけ、作品を制作したり個展を開いたりしたようである。この時の作品のひとつ「大連星ヶ浦風景」は広がりのある景色が美しく、ぽっかり浮かんだ雲が愛らしい、新しい展開を予感させる絵だった。しかし劉生は帰国後急逝したのである。
総じてみると、やはり重文の2点の作品が図抜けて素晴らしかった。しかしそれ以外にも味わい深い作品が沢山あり、版画や素描、日本画、墨画、装丁デザインなど、多彩な才能を持っていたのだなと思った。そして、描くべき対象を真剣に見ることが必要なのだと思い知らされた。
岸田劉生という画家の生き様を見たような、そして麗子に対する愛情の深さがひしひしと伝わってくるような展覧会だった。