(写真は展覧会のフライヤーです)
本日、京都市美術館にて「竹内栖鳳展 近代日本画の巨人」を鑑賞しました。この展覧会は2013/12/1まで京都市美術館にて開催されます。いま内容や批評を読みたくないという人はここから下は読まないでください。
------------------------------------------------------------------------
すっかり秋も深まり、岡崎の疎水の桜並木も半分紅葉する中、美術鑑賞に出かけることにした。今回は友人が「良かった!」と薦めてくれた竹内栖鳳展を見に京都市美術館へ行ってきた。
私は今までこの人の作品をまとめて見たことがなかったのだが、竹内栖鳳(1864-1942)は日本画の近代化の旗手となった画家である。この展覧会はその足跡を初期から晩年へたどる構成になっていた。
栖鳳は四条派の幸野楳嶺に入門し、初期は伝統的な画風であったが、その中にも技術の高さがうかがえた。「芙蓉」はフヨウの花と葉が墨と少しの彩色でさらりと描かれ、「池唐浪静」は草や飛び跳ねる魚の描写が繊細で瑞々しかった。
栖鳳の画家としてのすごさというか、感心させられたことは、色々な流派の技法を咀嚼し取り入れたところと西洋画に目を向けたところ、そして美術染織業界にもかかわることで西洋における日本美術のあり方について考えを深めたことである。そして1900年栖鳳は渡欧し、帰国後西洋美術と伝統的な日本画との融合を図ることとなった。
私は特に屏風に大きく描かれたライオンの絵が気に入った。「虎・獅子図」「金獅」「大獅子図」と、色味を抑えてリアルで迫力のある描写の絵が並んでいる様子は壮観だった。
ライオン以外でも、大きな屏風に描かれた絵がやはりいいと思った。「蕭条」は葉の落ちた3本の柳の樹を描いた絵だが、枝が垂れる様子がリズミカルに描かれている。また2匹の象と小動物を描いた「象図」は、皮膚のたるみの表現が見事で、刷毛がすいすい走っていた。
栖鳳は後進の活躍を見守る立場になっても自身の表現を追求していた。例えば「城址」のぼやけて溶けていくような、しかし深みのある風景の表現は、伝統的な山水画とは違うものである。また「蹴合」は軍鶏の一瞬の動きをとらえて、目も鋭く、ケンカしている感じが出ている。さらにこの時期は人物画も手掛けており、「絵になる最初」はモデルが裸身をさらす瞬間に垣間見せたはじらいを表情豊かに描いている。
晩年になってもより自由な表現を求めていたように思った。「二龍争珠」では大まかに龍の頭部が描かれ、黒っぽい画面で抽象と具象の間にあるような絵だった。また「渓流」(未完)は晩年滞在した湯河原の渓流と酷似しているそうで、勢いがありかつ繊細で、水の豊かな表情が描かれていた。
常に高みを目指そうという姿勢がうかがえ、スケールの大きさを感じた。私も少しでも視野を広げ、考えを深めて作品創りに取り組みたいなあと思った。