4/21に京都国立近代美術館にて「すべての僕が沸騰する―村山知義の宇宙―」展を鑑賞しました。この展覧会は2012年5月13日まで京都国立近代美術館で開催された後、2012年5月26日から7月1日まで高松市美術館、2012年7月14日から9月2日まで世田谷美術館にて開催されます。いま内容や批評を読みたくないという人はここから下は読まないでください。
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私は一時期絵本の原画などの展覧会をよく見に行っていた時期があるので、その中で村山知義の童画を見たことはあった。だが村山知義は実は絵画、ダンスパフォーマンス、舞台芸術、建築、グラフィックデザイン、さらに戯曲や小説、評論の執筆など多彩なジャンルで活躍し「日本のダ・ヴィンチ」と称されるほどの芸術家である。その全貌は私は今までよく知らなかったので、この大規模な回顧展を見る機会を逃すまいと朝一番に美術館へ行った。
展示は『I 前兆:1920』『II 伯林:1922』『III 沸騰:1923-1931』『IV こどもたちのために:1921-1976』『V その生涯:1901-1977』の5章に分かれ、特に「マヴォ」など前衛美術で活躍していた時期の作品・資料と、童画作品の展示が大きなウエイトを占めていたように思う。
『I 前兆:1920』は、ベルリンへ渡航する直前で、村山知義という芸術家が生まれる背景の紹介として、この頃頭角を現した日本の芸術家として神原泰、東郷青児、柳瀬正夢など、またこの頃ロシアから来日して展覧会を開き、大きな反響を呼んだ自称「ロシア未来派の父」ダヴィト・ブルリュークとヴィクトル・パリモフなどヨーロッパの同時代の美術作品が展示されていた。
1922年2月初め頃、21歳の村山は単身ベルリンに到着し、当時の前衛芸術を目の当たりにし、次々に対象を変えながら新しい刺激をたくさん吸収していった。『II 伯林:1922』ではベルリン滞在中に影響を受けたワシリー・カンディンスキーやパウル・クレー、ジョージ・グロスなどの絵画や画集、雑誌が展示されていた。また滞在中行動を共にした和達知男や永野芳光の絵画や各種資料、その後村山自身がおかっぱ頭にして踊り始めるほど心酔した舞踊家ニッディー・インペコーフェンの映像や写真も展示されていた。一方で村山の絵画も展示されていたが、コラージュを用いた抽象的な絵画もあれば写実的な絵画もあった。これらの多彩な作品や資料を見ていると、村山はまさにベルリン滞在中に前衛から古典までを吸収し、自らの糧としていったのだなと思った。
村山は1年と経たないうちに帰国の途につき、ベルリン体験の成果を多様なジャンルにおいて発揮し、活躍し始めた。『III 沸騰:1923-1931』では、村山が中心となり結成し、日本のダダともいうべき活動をした「マヴォ」の機関紙をはじめ多くの作品や資料が展示されていた。これらを見ると本当に八面六臂、超人的な活躍をしたんだなあと思った。絵画では木や金属や皮を貼り込んだ重厚な「コンストルクチオン」や、船着き場の伸びやかな直線が印象的な「赤い大地」が気に入った。また自ら著した「現在の藝術と未来の藝術」「構成派研究」の装丁もタイポグラフィが独特の味があって面白い。村山が訳した「女天下」の装丁は文字そのものも構成も色彩もお洒落にできていて秀逸なデザインである。さらに「朝から夜中まで」の舞台装置の模型や舞台写真を見るにつけ、実際の舞台を見たかったなあ、誰か忠実に再現してくれないかなあと思った。「マヴォ理髪店」などの建築も洒落ていた。でもやっぱり一番引き込まれたのは、機関紙「マヴォ」。それも1号から7号まですべて集めてある。みっちり構成された紙面を見て、全部欲しいと思った。展示室にはコピーをファイルしたものが置いてあって、それを見て当時の熱気を想像した。
『IV こどもたちのために:1921-1976』は、童画作家としての村山に焦点を当てていた。この童画がまた甘ったるい可愛さでなく、お洒落な感じがしていいのである。くっきりとした線と明るい色彩、擬人化された動物のそのあかぬけた服装、古さを感じさせない。特に妻の村山籌子が文を書いた「リボンときつねとゴムまりと月」「あひるさんとにはとりさん」すごく明るくてユーモアを感じた。その他未刊行童画もとてもよく出来ていて、お話が想像できそうな絵だった。展示室には絵本も置いてあったが、ゆっくり読む時間がなかったのが残念……。「三匹のこぐまさん」のアニメーションが上映されていたので、それは見た。ナンセンスでシュールで、美術館の展示室で笑いをこらえきれなかった。
『V その生涯:1901-1977』では、主に後半生の仕事に焦点を当てていた。後半生は主に演劇人として活躍した村山だが、絵画、舞台美術、著作、グラフィックデザインなど「マヴォ」の頃とは形を変えているとは言え衰えない創作のエネルギーを感じた。
ベルリンであらゆる芸術を吸収し、それをこれ以上ない形で日本に持ち帰り、展開し、1920年代の日本の美術界に衝撃を与えた村山知義。その多彩な、ジャンルを横断する活躍をこの展覧会で存分に知ることができて、本当によかったと思う。
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