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    • 2015.01.01 Thursday
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    ジャン・フォートリエ展(国立国際美術館)

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      blog20141129
      (画像はフライヤーです)

      本日11/29、国立国際美術館にてジャン・フォートリエ展を鑑賞しました。この展覧会は12/7まで国立国際美術館で開催中です。いま詳しい内容や批評を読みたくない人はここから下は読まないでください。

      (この記事はnoteにも掲載しております。noteでは投げ銭を受け付けております。もし気に入ったらnoteの方で投げ銭していただけるとありがたいです。
      noteの記事はこちら→ https://note.mu/imyme/n/n1c64dc8d8fc5

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      ジャン・フォートリエ(1898−1964)は、独特の抽象絵画で戦後のフランス美術界に大きな影響を与えた人物だそうだ。代表作は連作「人質」であるという。フライヤーの作品画像を見ると、でこぼこした楕円形の、不穏な雰囲気が感じられる絵だ。これを見て私は心ひかれた。私はどうすれば他人が心ひかれるような絵を描けるのだろうかとぼんやり思いながら鑑賞を始めた。

      並んでいる作品を見ると、最初は写実的な絵画が並んでいる。しかし単に対象に肉薄するだけでない感じを受ける。例えば「管理人の肖像」は鉛のような色調に部分的にほのかに赤みがかっているのが不気味である。「エシャロット」は玉ねぎのようなものが暗闇の中で踊っているようで面白い。この展覧会は裸婦の絵画も多かったが、「体を洗う裸婦」
      「後ろ姿の裸婦」「脱衣の女」はいかにもタイトルそのままに、ポーズをとっているという感じを受けた。そして首から臀部までを描いた「後ろ姿の裸婦」という素描はもはや人物というよりも人体を描いている感じがした。

      1926年から1年ほどの作品は彼自身が「黒の時代」と呼んでいた。ほとんど黒の画面。そしてそれまでの写実主義から、より自由に、対象を総体的にとらえようとした。「黒い裸婦(小)」は黒い裸婦から黒いオーラが出ているような作品だ。

      さらにフォートリエは人間の姿形をプリミティヴィスム(原始美術、非西洋圏美術からの影響)に求めた。
      「美しい娘(灰色の裸婦)」は、ぼやっとした人体は人形のようだが、りんごのような赤い頬で、かわいらしい。
      「兎の皮」は死のにおいがぷんぷんする。そして「黒い花」は小さな花火の集まりにも見え、モノトーンの中のひそやかな色彩が美しい。

      フォートリエは一時期絵画制作を中断しており、1940年占領下のパリに戻ってから、厚塗りのマチエールの独特な絵画を描いた。色彩も豊かになっており「飾り皿の梨」はクレヨンで描いたような筆致で、果物の色もおいしそうである。そして「醸造用の林檎」は青緑の背景に濃い赤がしたたるリンゴの山、それは脳みそのようにも見えた。

      そして「人質」の連作。フォートリエがゲシュタポの手からなんとか逃れ、近くの監獄ではドイツ軍によってフランス人のレジスタンスが処刑されていた。間近でなされる凄惨な事実を動機に、極限状態における人間の存在を表現した。展示室の一室にその連作が並べられていた。

      実物の存在感に圧倒され、私は泣きそうになった。頭が転がり続けているように見えた絵、頭部に亀裂が入って血を流しているような絵、頭部が大きく切られた絵、そしてもはや人間だかなんだかわからなくなっているような絵。
      これらの匿名の人々に思いをはせ、しばしの間茫然とした。

      「人質」の展示室を出ると、戦後さらなる探求を行った絵画が並んでいた。画面全体が一転して明るい色彩に覆われていた。「果物」は果物というより貝殻みたいだが生きているようだ。「オール・アローン」「永遠の幸福」はジャズに影響を受けているそうで、温かくいい絵だなと思った。そして「黒の青」は荒々しい線と鉱石のような色が美しい。


      とにかく「人質」を見て、私の、どうすれば他人が心ひかれるような絵を描けるのだろうかといった甘い考えは吹っ飛んだ。まだまだ私にはわかっていないかもしれないが、少なくともいかに物事から何かを感じることができ、それを自分のエネルギーをぶつける如くズバリと描こうと気を引き締めた次第である。


      「明月記と最新宇宙像」(京都大学総合博物館)

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        blog20140928
        (画像は展覧会のフライヤーです)

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        noteの記事はこちら→ https://note.mu/imyme/n/n2af3203e3902 )

        本日9/28、京都大学総合博物館にて「明月記と最新宇宙像」展を鑑賞しましたので感想を書きます。この展覧会は10/19まで京都市美術館で開催中です。いま詳しい内容や批評を読みたくない人はここから下は読まないでください。

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        私にとっては珍しく、美術以外のジャンルの展覧会たが、それはテーマが「宇宙」だったからである。夜空を観察したり、また宇宙関連のニュースを聞いたりして、私も宇宙に属する小さな存在なんだと思い、宇宙を題材とした絵をいくつも描いてきたからである。
        そうした宇宙に関する展覧会ということで観に行った。

        観に行った感想は、やはり「明月記」の中の超新星における記述がいかに貴重であったかということである。

        「明月記」とは藤原定家(1162-1241)の日記である。藤原定家は鎌倉前期の歌人であり「新古今和歌集」「小倉百人一首」の撰者である。ほかに古典の書写も多くしたので、定家の仕事がなければ現在の私たちが読むことができなかった古典が数多くあるのだ。

        明月記は生涯にわたって書かれ、19歳(1190)から74歳(1235)までの日記が現存し、国宝である。当時の政治や宮廷のことについて詳細に書かれているほか、個人的に興味を持った出来事も記されている。

        この中に3件の超新星出現記録が記されているのである。望遠鏡使用以前に裸眼で観測された超新星の記録は7回しかなく、このうち3回も記録されているのは世界でも明月記だけだそうである。

        実際に観測・記録したのは陰陽師の安倍氏であるが、定家も天体現象に興味を持っていたのであろう。これらは安倍康俊に報告をさせたものである。

        明月記に載っている超新星の記録は1006年、1054年、1181年のもので、客星(通常は見えない星のこと、この中に超新星が含まれる)と書かれている。このうち1054年の超新星は2年間も見えていたそうだが、当時の記録は中国と日本のほかアラビアに簡単な記録があるだけでヨーロッパには全く記録がないというのが驚きである。だから18世紀にこの位置に星雲が見つかるまで忘れ去られていたようで、やっと見つかった星雲が有名な「かに星雲」である。

        この「明月記」はのちにアマチュア天文家の射場保昭(1894-1957)が英文で米国の天文雑誌に紹介し、世界の天文学に大きな影響を与えたそうである。

        そのほか、京都大学関係者を中心に天文学に貢献した学者たちが紹介されていた。なかでも花山天文台の初代台長となった山本一清のアマチュアの育成、そして石塚睦のペルーでの観測所の建設などペルー天文学の父と呼ばれる活躍などが印象に残った。やはり、どの分野でも育成は大切だと思った。

        そして最新の宇宙に関する研究の成果。わずか数十秒間だけ忽然とガンマ線で輝く謎の天体、ガンマ線バーストや、超新星の残骸の観測の成果、そして太陽とよく似た星で、これまでに太陽で観測された最大級のフレアの1万倍にもなる「スーパーフレア」が観測されたこと。最新の成果はもう少したくさんみたかったが、今回の主題は明月記であるからここは明月記が主役ということで。

        明月記の記録を読んで思ったことは、やはり、ものを観察し、それを記録することが大切なことである。そして学問・研究を発展させるには人のつながりが大切なこと。藤原定家は陰陽師に現象を報告させて記録し、それを射場保昭が世界に伝えた。射場はその後世界中の天文学者と交流を持ち、射場の天文台には世界中から天文学の資料が送られてきた。

        一見「明月記」の世界は文系の書物であり、かたや現在の宇宙研究は理系のものと思われがちであるが、宇宙というのは文系理系かかわらずすべての人が属する世界なのである。だから私はこれからも宇宙について考え、知りたいし、宇宙に関する作品を創り続けたいと思う。


        バルテュス展(京都市美術館)

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          blog20140727
          画像は展覧会のフライヤーです)

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          本日7/27、京都市美術館にてバルテュス展を鑑賞しましたので感想を書きます。この展覧会は9/7まで京都市美術館で開催中です。いま詳しい内容や批評を読みたくない人はここから下は読まないでください。





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          ピカソはバルテュスのことを「20世紀最後の巨匠」と評したらしい。バルテュスは他の芸術家が多様な表現を求めたときにあえて具象絵画を貫き通したし、またバルテュスは「私は芸術家という言葉は嫌いだ。私は画家、もっといえば職人だ。」という旨の言葉を遺している。だからその点において私とは正反対な画家であるわけだが(私は多様な表現をするし、私は職人ではない)、勉強になることは多いだろうと思い、展覧会を鑑賞することにした。

          というわけで彼の絵も、私にとってはお気に入りはあまり多くないのだが、気に入った絵を箇条書きに並べてみる。

          ・「ミツ」バルテュス11歳の時の40枚の素描からなる、愛猫ミツの物語を描いた作品で、墨一色の素朴な表現ながら人物の表情、動作を豊かに描いている。

          ・「空中ごまで遊ぶ少女」空中ごまを見上げて両腕を広げる少女が快活な感じがして爽やかで好き。

          ・「12歳のマリア・ヴォルコンスカ王女」12歳にしては大人びた顔をして杖を持つ姿は威厳がある。きりりとした表情もいい。

          ・「おやつの時間」果物鉢に盛られたリンゴ、ナイフの刺さったパン、険しい表情の女。色彩が豊かだから好き。それにしても、バルテュスの絵はかなり計算されている絵が多いなあとつくづく思う。

          ・「窓、クール・ド・ロアン」明るい外の景色と、静謐な室内。こういう静かな絵にはとても心惹かれる。

          ・「横顔のコレット」描写が面白い。少女の顔や服から光が発せられているようで神々しささえ感じる。

          ・「樹のある大きな風景(シャシーの農家の中庭)」バルテュスは風景画もたくさん描いており、その中でもこの絵は冬の風景だが光に満ちていて素晴らしい。バルテュスが何よりも光がまず大事と言ったのもわかる。

          ・「朱色の机と日本の女」バルテュスは東洋の文化に興味を持ち、それが作品にも影響した。これもその一つ。モデルは節子夫人。何かを覗き込む仕草がずいぶんアクティブに見えるし、机の朱色もきれい。日本風に陰影をなくし平面的なのに、絵肌はフレスコ画みたいにざらざらというのが、東洋と西洋の融合だろうか。


          こうして書いてみると、結構気に入った作品もあったなあと思う。会場ではアトリエも再現されていて、広くていいなあ、絵具の置き場所がたくさんあっていいなあとかうらやましく思った。
          なんにせよ、絵を描くには何らかの信念が必要だろう。私の場合は、とにかく描きたいものを描きたいように描き続けることだ。そう再確認して、美術館をあとにした。


          JUGEMテーマ:展覧会


          黒田清輝展(京都文化博物館)

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            blog20140629
            (写真は展覧会のフライヤーです)

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            本日6/29、京都文化博物館にて黒田清輝展を鑑賞しましたので感想を書きます。この展覧会は7/21まで京都文化博物館で開催中です。いま詳しい内容や批評を読みたくない人はここから下は読まないでください。


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            ここ2、3年ほど、日本の近代洋画家の個展を見ることが続いた。岸田劉生、青木繁、高橋由一と。ここまできたら次は黒田清輝の展覧会をやってほしいなあと思っていたら、やってくれたね京都文化博物館。なんでも京都府では黒田清輝展をやるのは戦後初のことだそうだ(!)。私は黒田清輝の絵を、例えば「湖畔」などを美術の教科書で見たことはあっても、実物を見たことがないと思っていたら、今日その理由(戦後初)がわかった。

            黒田は最初から画家になろうとしたわけではなかった。パリ留学も、法学を修めるつもりで行ったのだが、現地に滞在する画家や美術商と交流するうちに、画家になろうと決心したそうだ。そしてラファエル・コランという画家に師事し、研鑽を積むことになる。展示のはじめは石膏デッサン、人物デッサンが並ぶ。特に裸婦習作の数々は、早くから繊細な表現で、気品をたたえていてすごいと思った。

            黒田は木炭デッサンで十分に勉強した上で油彩を始めた。やはり人物画が多い。祈る女性を描いた「祈祷」は褐色を主調に、上着の白い布のひだが柔らかく描かれている。

            黒田はやがてパリ郊外の小さな村グレー=シュル=ロワンに移住し、そこで更に制作を進めた。細やかな筆致でも、大胆な筆づかいでもしっかり形をとっている。紙に木炭で描かれた「雪景」は、木炭だけで冬らしい景色が描き出されていて、勉強になる。また緑の中の後ろ向きの少女を描いた「赤髪の少女」は毛髪や髪飾りがきらめいていて美しい。木々の葉も色鮮やかで目を奪われた。

            帰国した黒田は白馬会を結成して日本の洋画壇をリードするようになる。この頃が一番充実していたのだろうなと感じる。展示で大きなスペースを割いていたのは「昔語り」という作品のための木炭デッサンの画稿、そして油絵による下絵で、こちらから見たら気が遠くなるほど一つ一つの要素について習作を重ねていた。「絵を創りこむ」という感じがひしひしと伝わってきた。完成品が焼失してコピーでしか見られなかったが、これまた勉強になった。

            そして重要文化財の2つ。「湖畔」は明度はあるがくすんだ色彩、モデルの服装、手に持つ団扇など、大変日本的な洋画である。「智・感・情」は日本人の裸婦を理想化して描かれたものだが、ポーズの意味が不可解だった。あえていえば私には仏像のようにも見えた。

            黒田は晩年は美術行政家としての仕事が多くなり、多忙なため小品が多くなるが、身近なものをさらりと描いていて身構えずに観られるのがいい。その中でも「ダリア」は花瓶に赤や白のダリアがぎっしりと色鮮やかに描かれている。また「雲(6枚組)」が空の色と雲の形の変化を刻々ととらえ、軽妙に描き上げている。

            そして黒田は狭心症の発作を起こし、翌年58歳で没したが、絶筆「梅林」はペインティング・ナイフで描かれた梅の花々が、残りわずかな命のともしびを感じさせた。

            今回私の気に入った絵は「赤髪の少女」「ダリア」である。
            そして、もっと人物を描きたいなと思ったのと、しっかり絵を創り込むこともやっていきたいと思った。
            なにより、これでまた制作意欲が高まった。


            JUGEMテーマ:展覧会


            作家の眼「高橋 秀―気への形象」展(京都市美術館)

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              blog20140615
              (画像は展覧会のフライヤーです)

              (この記事はnoteにも掲載しております。noteでは投げ銭を受け付けております。もし気に入ったらnoteの方で投げ銭していただけるとありがたいです。
              noteの記事はこちら→ https://note.mu/imyme/n/n4d56813aa0e8

              本日6/15、京都市美術館にて作家の眼「高橋 秀―気への形象」展を鑑賞しましたので感想を書きます。この展覧会は6/22まで京都市美術館で開催中です。いま詳しい内容や批評を読みたくない人はここから下は読まないでください。




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              梅雨の晴れ間の日曜日、そろそろ絵を描くだけでなくて美術鑑賞もしたいなあと思っていたところ、最寄りの駅前で1つのフライヤーが目についたのでそれを1枚もらって、今日行くことにしました。

              今回鑑賞したのは高橋秀(1930-)という画家の展覧会。1961年第29回独立美術協会展で独立最優秀賞を受賞し、さらに安井賞も受賞したのですが、イタリアへ留学してローマで約10年過ごし、独自の表現を確立したそうです。

              展示されていた絵で気になった絵についてつらつらとメモしておきます。

              「波頭―立ち上がる(金)」「波頭―這う(銀)」は対になって展示されていて、金と銀の波頭が輝き、でも品のある作品でした。金や銀を下品にならないように作品に使ってみたい私としては参考になりました。

              そして「環」も、緑や銀などの波のような形の上に大きな黒い環が浮かんでいて、そのなんともどっしり構えた雰囲気がいい感じでした。

              「日月図―潮暦(うしおのこよみ)」は、やはり画面下部の波のうねりに粘りのようなものがあり、大きな黒い太陽、銀の月が迫力があって見え、今回見た中で私がもっとも気に入った作品です。

              また「蒼」「遠野」といった主に緑色の絵具を散らして叢のように表現した作品は、バックの金や銀とも合って渋い感じが良く、これまた勉強になりました。

              この展覧会では展示順が2013年の最近作からさかのぼるようにたどっており、私の気に入った作品は2000年代後半の新しい作品が多かったです。

              それ以前の作品では「鏡の中の花嫁」がいいなあと思いました。高橋秀の作品は様々な展開を見せ、その中にフォルムの追求からエロスへの展開もあったわけですが、エロスの肯定のようなものを私が感じたのは「鏡の中の花嫁」でした。バナナが積まれたような曲線の連なりをもつ白い色面に、ほんの少しピンク色が色づけされていて、明るく優しいエロスを感じました。

              今後も活躍してほしい作家の展覧会でありました。


              アンドレアス・グルスキー展(国立国際美術館)

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                blog20140427
                本日4/27、国立国際美術館にてアンドレアス・グルスキー展を鑑賞しました。この展覧会は5/11まで国立国際美術館で開催中です。いま詳しい内容や批評を読みたくない人はここから下は読まないでください。







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                ドイツの現代写真を代表する写真家、アンドレアス・グルスキー(1955-)は、私が以前あちこちの美術館やギャラリーで現代写真も見ていたため、その流れでグルスキーの写真も見たことがある。その時の印象は、スケールが大きいというか、異様な世界が広がっている感じがした。今回日本初の個展ということで、あの極度に大きくしかも細部まで均質に写っている写真が一堂に会するのかと思うと是非見たいと思った。

                展示室の中は、制作年の時系列順ではなく、ある意図を持って並べられた展示であった。おそらくそれは、グルスキーの作品でも年代ごと、テーマごとによって表現に違いがあって、それを混ぜることによって展覧会としてのインパクトを出そうとしているからではないかと思った。

                例えば、以前見たことがあった「99セント」。99セントの商品で埋め尽くされた売り場をまるまる写した大画面の中に、菓子などのパッケージの細部は明瞭に見えるという、まさにグルスキー独特の視覚表現である。これは消費社会を象徴し、ところどころに見える客の頭はまるで消費社会に飲み込まれそうである。

                また、これも代表作である「東京証券取引所」では所内の多忙な人たちの集まりがおさめられている。人々のほとんどは黒と白のスーツで、私はずいぶん日本人ぽいなあと思った。同じく展示されていた「シカゴ商品取引所III」はスーツがカラフルで、似たような場所なのに随分雰囲気が違うのだなと感じた。

                その他、大牧場の牛の群れの作品や、書きなおしたのかと思うぐらい掲示板の文字がすべて鮮明に読める空港の作品など、独自の世界と言える作品が並んでいた一方で、最近のシリーズである「バンコク」シリーズは川の水面の模様を濁った川の中にくっきりと浮かび上がらせ、抽象絵画のような趣である。色とかはデジタル技術で加工しているなというのがわかるが、これも単なる写真を超えた視覚芸術を創ろうとしたのが伝わる。私は今回の展示では「バンコク」シリーズが好きかな、と思った。

                グルスキーは作品を創るにあたってデジタル技術を駆使しているようで、単なる写真を超えようというのがわかる。かといって「バンコク」シリーズが抽象画のようであっても、絵画とは明らかに違う。いわば世界の再構築をあのスケールの大きさで緻密におこなっているのが驚きである。

                単なる絵画、単なる写真。展覧会を観終わって、やはりこれだけでは人の心を打たないのだなと考え続けた。今回私は、図録の小さい判型では独特の視覚表現がわかりにくく、図録を買わなかったのだが、代わりに「いつも私ならではの表現を追求すること」を常に心に留めておき、実践しようと思ったのだった。

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                ターナー展(神戸市立博物館)

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                  blog20140202
                  (画像は展覧会のフライヤーです)
                  本日2/2、神戸市立博物館にてターナー展を鑑賞しました。この展覧会は2014/4/6まで神戸市立博物館にて開催されます。いま詳しい内容や批評を読みたくないという人はここから下は読まないでください。



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                  「英国最高の風景画家」とのキャッチコピー。私もターナーが英国を代表する風景画家というのは知っていたし、私もスケッチで風景をよく描くから、得られるものがあればいいなあと思って見にいった。

                  しかし14歳にしてロイヤル・アカデミーの美術学校に入学を許可されたターナーの絵は、初期から美しい絵だった。初期の油彩画「月光、ミルバンクより眺めた習作」は月明かりとそれに照らされた景色と夜空の色合いが絶妙であった。また水彩で描かれたいくつもの風景画も柔らかさを感じる絵で、特に「ヴァル・クルシス修道院の廃墟、遠方にディナス・ブラーン城」はなんだか風景全体が廃墟のようでいいなあと思った。

                  やがてターナーは「崇高」を追求するようになる。自然の「崇高さ」をとことん表現しようとする。「ナントレ湖越しに望むア・ガーン山、遠方にスノードン山」なんて色彩を抑えながら、立体感を出し、荒涼とした感じが出ていていい。そのほかの作品を見ていても、より厳しい自然へ入っていって、より崇高な自然の美を追求しようとするターナーの姿勢が伺える。

                  ターナーは歴史画も描いているが、それらを見ると自然の中のちっぽけな人々という感じがしてならない。

                  ターナーはイタリアなど、ヨーロッパ各地を旅行し、絵に描いている。キャンバスに描いた大きな作品もいいが、水彩の小さな風景画もいい。私は展示室に並んだ小さな風景画を見てまわると、名所めぐりをしているような錯覚に陥った。

                  今回私がもっとも感銘を受けた絵は「レグルス」だ。古代ローマの将軍マルクス・アティリウス・レグルスを主題とした絵で、レグルスが瞼を切り取られ陽光に当たり失明したという伝説から、画面をまばゆいばかりの陽光で切り裂いている。あまりにも光にあふれていて、私は圧倒されるばかりであった。

                  ほかに「海の惨事」(別名「難破した女囚船アンピトリテ号、強風の中で見捨てられた女性と子どもたち」)も印象的だった。未完の絵だが、すべてが木端微塵になったような絵だ。

                  そしてターナー最晩年の作品「湖に沈む夕陽」、抽象画のようなこの絵は、何を描こうとしたのかわからないが、橙色に包まれた不思議な絵として心に残る。


                  私ももっともっと絵を、美術をつきつめたい、そう思って会場をあとにした。

                  この日、博物館近くの神戸中華街では春節祭が行われていた。鑑賞後はそちらへ向かい、屋台で食べ歩きしたり獅子舞を見たり、充実した一日だった。


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                  「ポンピドゥー・センター・コレクション フルーツ・オブ・パッション」(兵庫県立美術館)

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                    blog20140126

                    (画像は展覧会のフライヤーです)
                    本日1/26、兵庫県立美術館にて「ポンピドゥー・センター・コレクション フルーツ・オブ・パッション」展を鑑賞しました。この展覧会は2014/3/23まで兵庫県立美術館にて開催されます。いま詳しい内容や批評を読みたくないという人はここから下は読まないでください。

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                    現代美術にはいつも興味がある。私と同じ世代を生きている人が、何を見つめ、何を思い、何を創っているかに興味があるし、勉強になることがいっぱいあるからだ。
                    この展覧会ではこの10年の間にポンピドゥー・センターにある国立近代美術館に加わった、言ってみれば最新のコレクションを主に展示するという、迷わず、この展覧会を今年初の美術館における美術鑑賞として鑑賞することに決めた。

                    展示室に入った途端に、お、と思った。一見、一面にただ1色塗りつぶしたような絵の数々。しかしそれらはよく見れば、塗りむらがあったり筆のあとが生々しく残っていたり。色が黒でも色合いがあったりする。私の中で「描きたいなあ」という気持ちが膨らんだ。
                    これらの絵は、その後の作家に影響を与えた一世代前の作家の作品であった。

                    そして最新のコレクションから選りすぐった「フルーツ・オブ・パッション」、作家は多種多様な表現で、自らの関心や思いを形にしている。

                    例えば、マグナス・フォン・プレッセンの「階段」は、階段にも見えるが、怪獣の頭部にも見える荒々しい描写の絵で、私に訴えかけてくるものがあった。それからファラー・アタッシの「作業場」は、赤や青や水色のタイル状の色面が散りばめられ、可愛い作業場の絵が描かれ、きれいで愛くるしさを感じた。また、イザ・ゲンツケンの「無題」は細長い色とりどりのガラス板が集められ、それはまるで建築物のようで、彫刻の枠にとらわれないものだった。

                    さらに、ハンス=ペーター・フェルドマンの「影絵芝居(パリ)」は彼が集めたおもちゃを乗せた台を回して光源を当てた作品で、複雑に絡み合う影がとても幻想的かつノスタルジックで、作者のこだわりを見る思いがした。そして、フライヤーの写真にも使われているエルネスト・ネトの「私たちはあのときちょうどここで立ち止まった」はまるで何かの生き物のように、糸をひいたように塊がぶら下がり、その塊には香りがいっぱい詰まっていて、野生の生き物のような魅力を放っていた。

                    全体的に「フルーツ・オブ・パッション」の作品はその前の世代と比べてより表現が多様で、より私たちの感性を揺さぶろうという力が強く感じられた。そして私にとっては、このところガス欠気味だった創作意欲が再び大きく湧いてきたことが一番嬉しかったことだ。やはり、作品を創る(アウトプット)ためにはそれなりにインプットが必要なのだなと、いつも痛感することだが今回もあらためて感じた。










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                    最後に個展のお知らせ。
                    ★矢田明子個展「きらきら星」
                    会期:2014年3月27日〜3月31日、11:00〜19:00(最終日17:00まで)
                    会場:ギャラリー幹(京都府京都市中京区上瓦町52−5)

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                    竹内栖鳳展 近代日本画の巨人(京都市美術館)

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                      blog20131109

                      (写真は展覧会のフライヤーです)

                      本日、京都市美術館にて「竹内栖鳳展 近代日本画の巨人」を鑑賞しました。この展覧会は2013/12/1まで京都市美術館にて開催されます。いま内容や批評を読みたくないという人はここから下は読まないでください。







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                      すっかり秋も深まり、岡崎の疎水の桜並木も半分紅葉する中、美術鑑賞に出かけることにした。今回は友人が「良かった!」と薦めてくれた竹内栖鳳展を見に京都市美術館へ行ってきた。

                      私は今までこの人の作品をまとめて見たことがなかったのだが、竹内栖鳳(1864-1942)は日本画の近代化の旗手となった画家である。この展覧会はその足跡を初期から晩年へたどる構成になっていた。

                      栖鳳は四条派の幸野楳嶺に入門し、初期は伝統的な画風であったが、その中にも技術の高さがうかがえた。「芙蓉」はフヨウの花と葉が墨と少しの彩色でさらりと描かれ、「池唐浪静」は草や飛び跳ねる魚の描写が繊細で瑞々しかった。

                      栖鳳の画家としてのすごさというか、感心させられたことは、色々な流派の技法を咀嚼し取り入れたところと西洋画に目を向けたところ、そして美術染織業界にもかかわることで西洋における日本美術のあり方について考えを深めたことである。そして1900年栖鳳は渡欧し、帰国後西洋美術と伝統的な日本画との融合を図ることとなった。

                      私は特に屏風に大きく描かれたライオンの絵が気に入った。「虎・獅子図」「金獅」「大獅子図」と、色味を抑えてリアルで迫力のある描写の絵が並んでいる様子は壮観だった。

                      ライオン以外でも、大きな屏風に描かれた絵がやはりいいと思った。「蕭条」は葉の落ちた3本の柳の樹を描いた絵だが、枝が垂れる様子がリズミカルに描かれている。また2匹の象と小動物を描いた「象図」は、皮膚のたるみの表現が見事で、刷毛がすいすい走っていた。

                      栖鳳は後進の活躍を見守る立場になっても自身の表現を追求していた。例えば「城址」のぼやけて溶けていくような、しかし深みのある風景の表現は、伝統的な山水画とは違うものである。また「蹴合」は軍鶏の一瞬の動きをとらえて、目も鋭く、ケンカしている感じが出ている。さらにこの時期は人物画も手掛けており、「絵になる最初」はモデルが裸身をさらす瞬間に垣間見せたはじらいを表情豊かに描いている。

                      晩年になってもより自由な表現を求めていたように思った。「二龍争珠」では大まかに龍の頭部が描かれ、黒っぽい画面で抽象と具象の間にあるような絵だった。また「渓流」(未完)は晩年滞在した湯河原の渓流と酷似しているそうで、勢いがありかつ繊細で、水の豊かな表情が描かれていた。

                      常に高みを目指そうという姿勢がうかがえ、スケールの大きさを感じた。私も少しでも視野を広げ、考えを深めて作品創りに取り組みたいなあと思った。

                       



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                      「第38回GOOD ART展」(京都市美術館)「棟方志功 幻の肉筆画展」(美術館「えき」KYOTO)

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                        本日は「第38回GOOD ART展」と「棟方志功 幻の肉筆画展」を鑑賞しました。「第38回GOOD ART展」は2013/10/13まで京都市美術館にて開催され、「棟方志功 幻の肉筆画展」は10/20まで美術館「えき」KYOTOにて開催されます。いま内容や批評を読みたくないという人はここから下は読まないでください。

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                        blog20131012
                         
                        (画像は「棟方志功 幻の肉筆画展」のチラシです)
                        今日はいいお天気の中、美術鑑賞に出かけました。
                        秋の行楽シーズン、3連休の初日でしたので私のお出かけの足である京都市バスも混雑していました。

                        まずは京都市美術館で行われている「第38回GOOD ART展」を鑑賞しました。
                        GOOD ART展は最初は京都や東京の芸大生の有志の皆さんが始めたそうで、その後参加者も増え、年齢さまざま、有名無名問わず作品が展示される展覧会です。作品ジャンルも平面(写真含む)、立体、パフォーマンスなど様々です。そんなGOOD ART展、私が鑑賞するのもこれでたぶん3回目だと思うのですが、今回もとても自由な雰囲気の展覧会でした。様々な表現が展示室の中にありました。私は吉田孝光という人の宇宙の絵に心ひかれました。自分も宇宙を描いているので。この人の作品は明るい光に満ちていました。いま私は、明るい光あふれる宇宙の絵を描きたいと思っているので、この人の作品はすごく参考になりました。

                        そしてまたも混雑した市バスに乗って移動し、JR京都駅へ行きました。ここの駅ビルの中にある美術館「えき」KYOTOで「棟方志功 幻の肉筆画展」を鑑賞しました。棟方志功と言えば版画家として国際的に活躍しましたが、今回は版画(彼自身は「板画」と呼んでいた)も少し交えながら、主に肉筆の襖絵などを展示していました。これらの襖絵は棟方と長年交流を続けてきた京都の山口邸に描かれていたもので、会場にも襖絵などを含む部屋が再現されていました。そこに展示されていた襖絵「樹林」は、緑が鮮やかに、幹は力強く描かれて、いいなあと思いました。こんな襖絵に囲まれていたら、自然の中にいるような気分になれるかなと思いました。また襖絵「玫瑰(はまなす)図」も勢いのある筆致で、美しかったです。私も襖とか、壁に描いてみたいなあと思いました。

                        これでまた気分を一新して、創作に励みたいです。

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